昭和11年発行
撤去された橋
大鐵電車パンフレット秋郊
四天王寺古本市で入手しました。藤井寺「教材園」の記載があることから1929(昭和4年)~1933年(昭和8年)頃発行されたと思われます・春日温泉(旅館:陽明館)(✖春山温泉?)
「松茸狩と定食券付割引乗車券」阿部野橋駅から富田林西口駅まで1円45銭。松茸山(富田林モータースクール~西山墓地:毛人谷城跡周辺)
明治44年、汐ノ宮駅(河南鉄道)が滝谷不動と長野駅間に新設設置されたと同時期、汐ノ宮天満宮(横山天神祠)を彼方村の春日神社(後に錦織神社に合祀)合祀し、跡地に「錦川館」という温泉旅館が開館しました。
元々、汐ノ宮天満宮境内(彼方横山村)の岩間から塩分を含んだ霊泉(食塩炭酸泉)が湧いていたので、駅が出来ると宮を移転し、付近を温泉地として開発したようです。明治44年「松蔭堂」発行:潮の宮温泉
大正12年、大鐵が長野線を電化すると同時に汐ノ宮駅に通じる石川一帯の土地を買収し、一大温泉地として開発しました。
宝塚のような歌劇団も設置する計画だったようです。
- 明治36年河南鉄道路線案内(汐ノ宮駅開業前)
- 鉱泉
- 彼方村大字嬉 天満宮の西隣、石川東岸にあり、本泉は、岩石の間より湧出す。
- 無色清透にして、塩分に豊、分析の結果有効なりの鑑定。
- 浴場の設置計画あり。完成すれば、不動産参拝をね、入浴するもの多からん。
- 腰神神社は付近にあり、脚部諸病に対する霊験著し
温泉及び効能。天然温泉は炭酸塩類泉で昔より名高く湿疹、リューマチ、痛風、泌尿器、生殖器粘膜病その他諸症に特効があります
◎昭和11年発行の大鐵新聞(発行所:富田林町毛人谷168番地)富田林市保健所、河内長野市の資料から汐ノ宮温泉旅館で16軒が確認できました。芸妓置屋は2軒ありました
大鐵電車指定、松茸山
「古市駅=羽曳山」・「旭ヶ丘駅=宮傅山」・「富田林駅=城西、西山」・「瀧谷不動駅=瀧谷山、錦郡山、嶽山」・「汐ノ宮駅=汐ノ宮、嶽山、塚穴山、龍泉山」
汐ノ宮辺りは、ちょうど富田林町(横山村)と長野町(市村)の町境でもあり、温泉旅館での学童疎開受け入れ先旅館は、石川を境に担当する町が分かれていたようです。
温泉地当時、旅館とお土産屋が軒を連ねていました。メイン通り(2017/07撮影)当時の駅は現在地から長野側にずれています。
湧泉付近の火山岩と千代田橋 (2017/07撮影)
当時の汐ノ宮駅と温泉橋が確認できます(1927年:現在の千代田橋は存在しません)
1963年(昭和38年)国土地理院航空写真
大鉄時代、汐ノ宮駅は今より少し南側にあり、温泉に通じる道はお土産屋さんが軒を連ねていたようです。千代田橋の南側寄りに温泉街へと通じる別の橋がもう一本あったのですが、撤去されています。橋脚跡と火山岩は今も確認できます。
戦後の法改正で、旅館は保健所への届出が必要となり、富田林保健所で確認できた戦後の汐ノ宮周辺の旅館
- 「尼利」S,22-8-21届出:富田林市横山3
- 「汐ノ井」S,32-4-19届出:河内長野市市町117
- 「汐乃井」S,40-8-6届出:河内長野市汐の宮29-1
温泉街周辺は、現在、企業の研修施設やマンションが建ち、その姿は確認できません。
茶色の建物が企業の研修センターです。広大な敷地には、テニスコートがあり、整備された美しい庭園もあります。
天然温泉「天の湯」泉質:含二酸化炭素・鉄-ナトリウム-塩化物強塩泉
炭酸泉が湧出していました。2017/ 7/27
源泉水中撮影 炭酸・鉄分を多く含む塩化物強塩泉。流域とは違い付近は温泉特有の匂いが充満し湯の花が浮いていました。2017/ 7/29
参考文献:「 大阪河内の近代 」「 富田林市誌 」「 河内長野市誌史」「大阪朝日新聞」「 河内長野市郷土研究会誌 」「 大鐵新聞 」「富田林保健所」