富田林年表 (2017/07/15作成)富田林ニュース24 |
錦部郡板持村と石川郡東板持村
伴林光平 | 林村 | 51 |
水郡善之祐 | 甲田村 | 38 |
水郡英太郎 | 甲田村 |
13 |
谷塚与三郎 | 甲田村 | 26 |
辻宇吉 | 甲田村 | 46 |
和田佐市 | 甲田村 | 31 |
森本久蔵 | 甲田村 |
30 |
森元伝兵衛 | 宮甲田 |
29 |
鳴川(成川)清三郎 | 新家村 |
36 |
浦田弁蔵 | 廿山村 | 32 |
仲村徳治郎 | 富田林村 | 24 |
三浦主馬 | 富田林村 | 48 |
辻幾之祐 | 富田林村 | 27 |
仲村徳次郎 | 富田林村 | 25 |
松崎万吉 | 甘南備村 | 26 |
東条昇之助 | 長野村 | 37 |
武林八郎 | 長野村 |
21 |
内田耕平 | 長野村 | 22 |
上田主殿 | 鬼住村 | 39 |
吉年米蔵 | 長野村 | 48 |
長野一郎(吉井儀三) | 大ヶ塚村 |
26 |
水郡家:天羽流剣術・居合・柔術道場
水郡英太郎(長義)(1852-1910) 父:水郡善之祐(長雄)39歳、京都六角獄舎にて斬首(1826-1864)
京都六角獄舎(1864年)
水郡善之祐(39) | 長野一郎(26) |
吉年米蔵 (49) | 森元伝兵衛(31) |
辻幾之助(30) | 田中楠之助(22) |
法泉院 竹林寺
富田林映画館・芝居小屋(映画年鑑:昭和25年版劇場便覧より)
劇場名 | 定員 | 経営者 | 住所 | 電話 |
1-1富田林映画劇場 | 500 | 松井芳太郎 | 毛人谷382 | 富田林263 |
2-1富田林セントラル | 300 | 富田林興業 | 毛人谷456 | 富田林623 |
2-2富田林東映 | 300 | 富田林興業 | 毛人谷441 | 富田林623 |
3-1富田林松竹 | 285 | 南 修蔵 | 新堂1409⇒毛人谷441 | 富田林623 |
3-2富田林名画座 | 285 | 富田林興業 | 新堂1409 | 富田林623 |
4-1大楽座 | 197 | 福田末吉 | 山中田119-3 | 富田林356 |
*美吉座 | 300 | 富田林町 | ||
*常盤座 | 不明 | 常磐町 |
南河内郡内他映画劇場
劇場名 | 定員 | 経営者 | 住所 | 電話 |
聚楽館 | 287 | 岡井裕之 | 長野町古野120 | 長野234 |
長野劇場 | 356 | 北野末吉 | 長野町299-1 | 長野253 |
長野東映劇場 | 285 | 北野末吉 | 長野町300-1 | 長野253 |
長野大映 | 300 | 北野宏子 | 長野町古野54-9 | 長野6253 |
春日座 | 200 | 南 修蔵 | 山田村山田1409(太子町) | 磯長12 |
石川座 | 180 | 横田音吉 | 石川村大ケ塚235(河南町) | なし |
大美野劇場 | 270 | 西川敬一 | 登美丘町丈6660-1(黒山)」 | 黒山129 |
古栄座(白鳥劇場) | 282 | 南 修蔵 | 古市町古市570 | 古市473 |
汐の宮温泉(大阪商工大観. 昭和4年版)汐の宮駅下車(大阪より53分、賃往復1回10銭)石川の清流に臨み巨巖の間より湧出する無色透明の霊泉で諸病によく、鮎、蛍、河鹿の名所で近くに大鐡直営の運動場がある。
大鐵電車「秋郊」昭和4年~昭和8年頃(四天王寺古書市より入手) |
✖ 春山温泉、「春日温泉」(旅館:陽明館)
松茸山(富田林モータースクール~西山墓地周辺:毛人谷城跡)
大鉄電車沿線名所案内「1928(昭和3年)」 |
「午前9時45分、堺市浜寺の洋裁学院経営者、杉山好彦(42)が2階仏間で正座し頭を撃ち苦しんでいるのを妻、京子さん(34)が発見。遺書はないが、昭和21年から経営している洋裁業の経営が思わしくなく、友人に約25万円を借りて再建をはかったが生徒は減る一方。このため富田林市にある自宅の固定資産税50万円も滞納、この支払いと借金返済で最近神経衰弱になっていた」
「山崎豊子」空襲で船場の実家が焼失し、石上露子の浜寺の別荘に疎開
大林組迎賓館(大林組ゲストハウス)
山崎豊子 ドラマ・映画「華麗なる一族」ロケ地(万俵家邸宅)昭和7年(1932)築。
大林組2代目社長、大林義雄邸(大林組迎賓館):設計 安井武雄(安井建築設計事務所)
富田林病院建替え:平成30年1月30日に大林組・安井建築設計事務所共同企業体を落札者として決定。
「月刊・きんもくせい」メリヤスで財を成した古川定治郎の所有地を引き継ぎ、 建築家の安井武雄に洋風住宅の設計を依頼。 その安井の原案に、 社長の命を受けた木村得三郎が手を加えて、 今日の姿に仕上げた(写真1)。 木村は、 大林組で主に劇場建築を担当したデザイナーである。 洋館に併設して、 西川一草亭指導、 名匠・北村拾次郎の手になる和館がある。 ちなみに、 阪急御影駅のホームから見える大林邸内の中国風の楼塔は古川氏の時代に建てられたもの。
数年前までは、入口の警備員詰所には2名が門番として待機しており、門から3分程度のアプローチを車で抜けると玄関前の洋式庭園が見えてきます。邸宅には、渡り廊下でつながった和館があり、ゲスト宿泊時(柏葉倶楽部)にも朝食を提供できるようルポンドシエルのスタッフ等が宿泊できる設備も備えています。大林組を定年退職した方が館長を務めているようです。
日露戦争で日本に送られた2万8000人の捕虜を浜寺に収容
大林組創業者、大林芳五郎(人事興信録(1915年))は、請負業の縄張り争いで、旧友の侠客の親分として知られた野口栄次郎(「出店の又」との抗争で殺人犯として逮捕される)「木屋市」;北(北野)の「木屋市一家」の有形・無形の援助を受けて、大阪鐵道から請け負った難工事をやり遂げた。
労働力の供給が請負業の相当部分を占めていた当時、これら遊侠の徒が業界に勢力をもつことは、ある程度避けがたかった。そこには多くの弊害もあったが、同時に人と人とのつながりによって、はじめて成り立つ業である以上、彼らの存在を便とする場合も多かった。芳五郎と野口は、たがいに相許した友で、利用するための交友ではなかったが、結果的には大いに役立ったようである。芳五郎の抱擁力は、のちに伝法の「伊之助」鴻池忠治郎(伝安一家:「守口弥三郎」)・幸町の「淡熊」銅傳佐太夫(淡熊会)博徒組織・梅田の「難波福一家」(鶴田丹蔵)、その他、九條の「永福」、新町の「小常」、など有力顔役を彼の支持者とさせた。いずれも「木屋市」野口栄次郎とのつながりから生じたもので業界粛正のため悪徳業者と戦うに当たって、強力な援護者となった。
大林芳五郎傳 【キタ風土記】宮本又次著 木尾市(野口栄治郎)と綱敷天神夏祭り
北野村(いまの堂山町)の屈指の地主木尾市兵衛の長子に野口栄治郎というのがいた。この人は道楽半分で自ら好んで演劇道にはいり、気骨があり、快男児なのであった。
御霊神社の定席で、堀江栄治郎といって芝居をしていた。 大林由五郎(17歳)(のちの芳五郎)は堀江の麹屋又兵衛という呉服屋で丁稚奉公をしていたが、丁稚仲間の福松(福本源太郎)と共にこの芝居をいつも見物して、栄治郎をひいきにしていた。
堀江栄治郎は後に北の大親分となり、知られていたが、奈良と大阪を結ぶ大阪鐵道の亀の瀬トンネルの難工事に土建屋となった大林由五郎が従事した時、大親分だが、丁度レンガ屋として工事現場に来ていた栄治郎と遇然、出会った。以来、栄治郎は由五郎の身によりそって護衛の任にあたった。明治14年2月木屋市一家は当時堂島の顔役であった「出店の又」一家と争うことになった。「出店の又」は宮相撲では「綾勇」といい、その勇名は大阪地方一円にひびきわたっていた。初めは木屋市の子分だったが、その剛カはしだいにひろまり、やがて、大阪の北部をナワ張りにするようになった。そして木屋市のナワ張りを荒らすようになった。そこで木屋市一家は「出店の又」を倒そうと機会をねらい、ついに子分同士のケソカが導火線になって、北区堂山町の金台寺裏で乱闘をおこすことになった。この乱闘は木屋市側の勝利に終ったが、子分数人とともに殺人犯として検挙された。
しかし木屋市自ら手を下したものではないので、明治14年7月、栄治郎は予審免訴となって出獄した。この出獄の翌月が木屋市が住んでいた土地にある綱敷天神社の例祭日であった事から、親方の出獄をよろこんだ若者たちはダンジリをひきだして大騒ぎをした。これを聞いた顔役はこのダンジリをめでたいから借りたいと申しいれ、天満では「小松山」天神橋南では「山熊」上町方面では「出歯定」というふうに、つぎつぎと大阪全市の顔役がこのダンジリをひきまわして、ついに十日問に及んだ。そして栄治郎は押しも押されもせぬ大親分にのしあがった。
また伝法の「伊之助」、寺町の「淡熊」、梅田の「難波福」、九条の「永福」、新町の「小常」、などそうそうたる親分たちと手を握ることが出来た。
大林芳五郎は木屋市と兄弟分という仲だったので、この親分たちとも関係ができ、これからも群小のヤクザをものともせず、土木請負業界の改革を押し進めることが出来たのである。
1926(大正15年)大阪電気軌道の工事請負
所在地 | 商店数 | 開業日 | |
大和百貨店 | 本町20-8 | - | S37 , 8, 1 |
ジャスコ金剛店 | 寺池台1-9 | - | S44, 5, 1 |
金剛ショッピングモール | 寺池台1-9 | - | S45, 6,26 |
じゃんぼスクエア富田林 | 若松町1-5-15 | - | S47,11,23 |
ダイエー富田林店 | 昭和町1-7-1 | - | S51,10,29 |
富田林中央市場 | 常盤町8-14 | 22 | S34, 5,30 |
喜志デパート | 喜志町3-10-13 | 33 | S38, 5 ,1 |
滝谷デパート | 大字須賀578-2 | 35 | S47,11 ,2 |
金剛公設市場 | 寺池台1-9 | 42 | S42,12 ,1 |
富丘ストアー | 甲田210-2 | 15 | S51, |
西口駅前「西口マーケット」と「西ます兵」
ホテル清光園・ヘルスセンター「PL温泉」富田林市大字中野345
参考文献
「富田林まるわかり読本」「大阪河内の近代」「富田林市誌」「富田林市史」「河内長野市史」「大阪朝日新聞」「南河内ことば辞典」「富田林市政白書」「全産業住宅案内図帳:1961年版・巧精社」「大阪府精密住宅地図:1971・1986年版・吉田地図」「映画年鑑:1950年版」「映画年鑑:1968年版別冊・映画便覧」「大鉄全史:1952年版」「大鉄電車沿線名所案内:1928年版」「銀行及経済便覧:1906年版」協力:富田林保健所